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市川の歴史 市内に残る民俗行事
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市川の歴史
 市川に人が住み始めたのは、今から約2万年前の先土器時代からといわれています。
 その後の縄文時代の貝塚や遺跡が市内で多く見つかり、これまで118ヵ所も発見されています。中でも北部の堀之内貝塚、曽谷貝塚、姥山貝塚は国史跡に指定されています。
 弥生時代に移ると、南関東で最も古いという須和田遺跡があり、このほか、小塚山、宮久保、鬼高など8つの遺跡があります。
 奈良時代には、国府台に下総の国府が置かれ下総国の政治の中心地となりました。万葉集には、絶世の美女と言われた真間の手児奈が多くの歌人によって詠まれています。天平年間には、国分僧寺や国分尼寺が今の国分周辺に建てられました。
 平安時代では、反乱を起こした平将門の伝説が市川にも残っています。平安末期には、源頼朝が安房から下総に入り、下総国府で兵を集めて再挙を図りました。
 鎌倉時代になると、千葉胤正が千葉介として千葉家を継承し、5男の胤通が国分を分領しました。また、日蓮の唱える法華経信仰が広まり、法華寺(若宮)や本妙寺(中山)、安国寺(曽谷)などが建てられ、その後、法華寺と本妙寺が一緒になって、今の中山法華経寺になりました。
 戦国時代になると、千葉氏が馬加氏に乗っ取られ、千葉氏は市川城に入って再興を図りましたが、結局、滅ぼされました。この市川城が当時どこにあったのか、今もってわかっていません。また、国府台には太田道灌が城を築きました。国府台は里見氏と北条氏が幾多の合戦を行った場所です。合戦は北条氏が勝ち、北条氏は市川や行徳を支配しました。
 江戸時代に入ると、江戸に幕府を開いた徳川家康が行徳で盛んだった製塩に着目し、行徳を天領としました。行徳は成田山参詣の道中としても栄え、渡船の標識として常夜燈が建てられました。また、市川の佐倉みち(今の国道14号線)では、江戸川の脇に市川関所が設けられました。  明治以降には、市川の町も戌辰戦争の戦場となりました。
また、国府台は軍隊の駐屯地となり、市川は太平洋戦争の終戦まで軍隊の町として知られました。現在の国府台は大学や高校が数多く建つ文教地域となりました。
 市川市は昭和9年に、当時の市川町、八幡町、中山町、国分村が合併して「市」になり、戦後は大柏村、行徳町、南行徳町を合併し、現在の市域となりました。
 現在、面積は約56平方キロ、人口は47万人です。
市川市観光協会事務局
〒272-0021 千葉県市川市八幡3-3-2-408(グランドターミナルタワー) 市川市 経済部 観光交流推進課内
電話:047-711-1142/FAX:047-711-1146
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